〜これまでにお客様から寄せられた「ねぷた」に関する素朴な疑問をQ&A形式でまとめてみました〜

Q.どうして「ねぷた」って呼ぶの?
 津軽弁で「眠い」ことを「ねむてぇ」または「ねぷてぇ」と言い、これがなまって「ねぷた」になったのではないかというのが一般的な説です。「ねぷた祭り」のはじまりについては、昔、農民が夏の忙しい時期に襲ってくる眠気を追い払うため、睡魔を船や燈籠(とうろう)などにのせ、川に流した「ねむり流し」という行事から発展し、祭りになったという説があります。
Q.「ねた」と「ねた」って何が違うの?
 津軽弁は、文字で表現するには非常に難しい方言です。「ねぷた」と「ねぶた」どちらも起源は同じですが、なまりの違いから分かれたものと思われます。昔の文献を見るとは「ねふた」だったり、「ねむた」だったり呼び名が定まっていませんでしたが、弘前市の「ねぷた」、青森市の「ねぶた」というように、地域の差別化を図る目的もあったようです。
Q.「ねぷた」はどうして扇の形をしているの?
 津軽藩の藩祖・津軽為信公の幼名が「扇」であったこと、また、末広がりでめでたいといった理由から、扇ねぷたが作られるようになったのではないかと言われています。
 はじめの頃は、簡素な角燈籠のようなものでしたが、江戸後期には人形の「組みねぷた」が作られるようになり、さらに明治の中頃から扇型のねぷたが作られ始め、今では祭りに参加するねぷたのほとんどが扇ねぷたとなっています。
 扇ねぷたは、骨組みを毎年繰り返し使えるため、青森ねぶたのように立体的な組ねぷたに比べ手間とお金があまりかからないというのも、扇型が普及した理由のひとつのようです。
Q.ねぷたの下の部分に書いてある「漢雲」ってどういう意味?
 正面から見ると「漢雲」ですが、右から読みますので「雲漢(うんかん)」となります。これは中国での「天の川」を意味します。ねぷた祭りが「七夕祭り」から発展した祭りだという説もあることから、こう書かれるようになったものと思われます。
Q.金魚のねぷたを見かけるけど、どうして「金魚」なの?
 確かなことは分かりませんが、津軽藩のお殿様が「津軽錦(つがるにしき)」という津軽独特の金魚をかわいがっていたといわれており、当時高価で一般庶民が飼うことができず、これに似せたねぷたが作られるようになったという説があります。「金魚ねぷた」は立体的な「組ねぷた」の原型であるとも言われ、現在では子供たちが提灯(ちょうちん)のように持ち歩くために多く作られています。
Q.ねぷた祭りの「ヤーヤドー」っていう掛け声はどういう意味なの?
 詳しい意味までは分かりませんが、昔の文献を見ると、「ねぷたは流れろ 豆の葉はとまれ いやいやいやよ」という「ねぷた歌」について書かれてあり、この「いやいやいやよ」が現在の「ヤーヤドー」に変わったのではないかと思われます。また、今では見ることができませんが、「ねぷた喧嘩」がはげしく行われていた時代、「ヤァ!ヤァ!」という怒声がそこら中で響いていたという記述も残っており、これが転じて「ヤーヤドー」になったのではないかとも言われています。
Q.ねぷたの「〜賞」って、どうやって決められるの?
 弘前ねぷたの賞には、「知事賞」、「市長賞」をはじめ様々な賞があり、それぞれ3万円以下の賞金がつきます。また、その年によって特別な賞が設けられたりもします。これらの賞は、8月1日と2日に分けて、桜大通りで行われる合同審査によって決定され、市、商工会議所、観光協会をはじめさまざまな団体の長が審査を行います。採点基準は「構造」「絵」「運行隊形」「囃子」からなり各5点の合計20点で自由に採点します。
Q.ねぷたの皿みたいな部分に描かれている花は何の花?
 まず、ねぷたの下にある皿のような部分を「開き」と呼ぶのですが、この「開き」には共通して「牡丹(ぼたん)」の花が描かれています。「牡丹」は津軽藩主津軽家の家紋であり、この津軽家との関係を重んじて描かれるようになったのではないかと思われます。